寒風沢島〜野々島

先日、いつもお世話になっている○藤先生他同業者のお二人と寒風沢島〜野々島に行ってきました。

仙台に住んでいて、近場の塩竃市にある島ということもあったので、まぁ、先生のお知り合いのお宅でのんびりできればいいか位の気持ちで同行しました。

朝早くに、マリンゲート発の定期船に乗り、まずは寒風沢島を目指したのですが、天気もよく景色も綺麗で少しばかりテンションも上がってきました。
船内からは、海一面に海苔の支柱(しちゅう)式栽培用の網が張られているのが見え、改めて海苔養殖の盛んさが伺えました。

寒風沢島に到着し案内版をみると、どうもこの島には「しばり地蔵」「十二支方位石」「砲台場跡」等があるとのことでした。それがどういった物なのかは分かりませんでしたが、取り敢えず「しばり地蔵」と「十二支方位石」がある日和山へ向かうことにし、山道を登って行くと、縄に縛られた地蔵と子丑寅の文字が刻まれた石がおいてありました。
説明書きによると、昔、寒風沢島一帯は漁港として栄えており、遊郭まであったそうです。遊女達は客が離れないよう、地蔵を縄でグルグル巻きにし、船が出航出来ないよう逆風祈願をしたそうです。

次に山道を蜘蛛の巣を掃いながら「砲台場跡」に行きました。
何でこんな所に砲台を置いていたのだろうと思いましたが、説明書きを読むと寒風沢島は海防上最も重要な場所と考えられていたそうです。よくよく考えてみれば、他国から日本へ上陸するには、別に首都の近くでなければならないということはなく、まして港を押さえるというのは戦略的に効果が高いと思われます。

詳しいことは、いい感じのページがありましたのでコチラを見てみて下さい→http://teizanunga.com/urato.aspx

次に、寒風沢島から野々島に渡り、いよいよ先生のお知り合いの家に行くことになりました。寒風沢島から野々島に渡るには、100m位を渡し舟で渡してもらうのですが、船の呼び出し方が、ポールの赤旗を上げるというものでした。誰が旗を上げるかで盛り上がっていましたが、いざ、船着場に行くと丁度対岸から中学生がこちらへ向かってくるところでした。旗を上げたくて仕方のない同業者の人は、船がきているのに赤旗を上げていました。

先生の知り合いの方は瑞気庵という名前の(店ではないそうです)家?にたまに来ては、尋ねてくる人にお菓子などを出しながら世間話をするそうです。
そこで、「はらこ飯」や「マロングラッセ」などをご馳走になりました。料理等にも興味があるそうで、本当に美味しかったです。
何気に置いてある食器等も普段目にしないような物があり、お話を聞けば、明治・大正時代の物とのことでした。
とても博識の方で時間があれば、もっとお話をしたかったです。
ブログもやられていたので載せておきます→もんぺばあさんの日記 - Yahoo!ブログ

こんな近くに、こんなに自分の知らないことがあることを再確認し大変充実した一日となりました。